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おなじばしょにいる。
2005/12/21(Wed)
あのひとの話をしよう。
7月5日とか、7月21日とか、7月23日その他もろもろの日記に出てくる、「あのひと」。
好きな人と、告白から始まるすったもんだがあり、そこから一つの疑問を持った。あのひとにしかぶつけられないものだったから、連絡をとり、会うことになった。最後に言葉を交わしてから3ヶ月以上。
疑問については、おそらく、簡単に解けた。私が勘違いをしていただけだったから。
その話から離れ、私がこの数ヶ月で体験し、感じ、考えたことを話していると、あのひとは言った。

「別れてからも何回か会ってるけど、今が一番いい」
「好きだった頃の気持ちを思い出した」、と。
自分を好きになることだよ、と言った、同じ声で。
それがとても嬉しかった。認められたから、というよりは、自分の感じていたものを、再確認してくれたから。もう大丈夫、と。

「君が成長する事を望んでいたけど、その時の相手が俺じゃないことは、なんだか悲しい」
あのひとはそういって帰っていった。ここで問題なのは、言葉の内容より、
彼が「悲しい」と言った事実。

その日を境にして、あのひとは「弱さ」を見せるようになった。
私にとってのあのひとは、頭が良く、冷静で、自分の考えを一番正しい言葉に置き換えられる人。私は、あの人の前では、常に気を張っていた。こういうことがあって、こう考えました、合ってる?と、会話はいつも「答え合わせ」のようだった。私は、自分が「認められる」ことだけを考えていた。彼はいつも平然としていて、それが気にくわなかったけど、でもそれに安心していた気もする。
でも事実は違って、あのひとは弱かった。周りとうまく境界線がひけない、妥協が出来ない人。自分の感覚と、周りの感覚が合わないことに失望してしまう人。そのくせその失望をめったに表に出さない人。
私とあのひとは、ある点で似た感覚を持っているせいか、その「失望」を私に表すようになった。

今まで「完璧」だと思っていた人が、同じ場所に降りてきたら、きっと色あせて見えてしまう。
と友人は言ったけど、私はそうでなかった。
5年前とまるで違う姿でも、私の中では繋がっていて、とても冷静に受け入れていた。
5年前、同じように弱さを見せられたら、私は「弱さを見せてくれている」ことに、ひそかな嬉しさを見出していたかもしれない。たぶん、彼自身を見ることはできなかった。自分のことに精一杯だったから。

出会って6年目にして、私は初めて、あのひとの前で泣いた。
好きな人に恋愛感情を否定され、どうがんばっても彼は私を好きではない、というあからさまな事実を目の当たりにして、自分の愛情が届かないことを初めて体験して、それがどんなに自分にとってショッキングなことか、私は知らなかった。今まで自分は愛情が浅い人間だと思っていたから。

あのひとに話をして、ちょっとしたタイミングで、私は泣きじゃくっていた。
「彼が好きなんです。」
「はじめて感情を伴って、話をしてくれたね」
弱さを見せなかったのは、私も同じだったのだ。

今は彼の話が見えるし、ちゃんと受け止められるし、「辛かったね」と頭を撫でることもできる。
彼が私を信頼していることがわかる。私も彼を信頼している。雲の上の人、ではなく、同じ場所にたつ者として。

うまく説明できてないと思う。とにかく、どうやら、恋愛とか別れとか、会ったり会わなかったりした時を経て、私達は、今非常に良好な関係であるようだ。
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