アクセス解析

無料カウンター しかしてきぼうせよ。 いろのないせかいに、ようこそ。「杉本博司:時間の終わり」
スポンサーサイト
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
いろのないせかいに、ようこそ。「杉本博司:時間の終わり」
2005/12/20(Tue)
東京で内定先の事前研修を受けました。最終日は午前中で終わってしまい、内定者達とお昼ご飯を食べた後、ひとりで興味のあった写真展へ。

杉本博司「時間の終わり」森美術館

「原始人と同じように海を見れたら」という思いつきに魅せられ、本人のことも写真のこともわからないまま六本木ヒルズへ。展望台の上にあるとは知りませんでした。

まずは「数学的形体」シリーズがお出迎え。
ディニ曲面?定曲率?擬球をねじる?サインコサインの数式がカードに並んでいるけど、さっぱり。
数学が美しいというのは、なんとなくわかる。綺麗な数式。でも、それはなんとなく冷たい美しさ、だった。温度のないもの。

薄暗い光の中、黒いバックに浮かぶ「形体」は、立体的な影があって、あたたかそう。こんな風に影をもって現れる数学は初めて見た。

次は人形などの模型を撮影した「ジオラマ」シリーズ。
博物館などで見る、原始人や、シロクマの模型を、その背景と一緒に撮ってしまう。色がない(モノクロで撮影)ことで、模型が余計、息づいて見える。

そして、今回の目玉、「海景」シリーズ。
世界中の海を、水平線を撮り続け、真っ暗な部屋に並べる。部屋はスクリーンの光だけで、耳鳴りのような高音が空気を突き抜ける。
原始人は海を(私達のように)海として見ていなかったのでは、一体どんな風に見ていたのか…と杉本さんは思ったらしい。壁にならぶ「海」は、あるものはぼやけ、あるものは暗く、あるものは遠くに光、と表情は様々でも、無限を思わせる広がりはどれも変わらない。最初に海と言われなかったら、これは何かわからなかったかもしれない。

見ていると、すいこまれる。音が、脳を錯乱させ、何も考えられなくなる。
まっくらななかに、わたしと、ひろがりだけ。
いつまでもいるのは怖くなって、次の部屋に向かった。

仏様がずらずらすらっと並ぶ、横長の写真に圧倒される。800体?もっと?数は忘れてしまった。ひとつひとつがきちんと形をもって迫ってくることの、怖さ。彼は800体を撮ったのではなく、ひとつひとつを撮った、と思う。
建築物を、無限大の2倍の焦点距離で撮った「建築」シリーズ。多くの建築物が、その焦点距離の前に形を失い、消えたという。それをくぐりぬけた者だけが、白い壁に並ぶ。ぼんやりしていても、存在感のある形。

全ての写真に、色が無かった。もちろん、白と黒はあるのだけど。
色が無い、ということは、それだけ余計な情報がなくなる。でも、だから想像力を働かせて、と感じられるような写真ではなかった。
色がない分、光と影がむきだしでせまってくる。私も衝撃を和らげるものなど持てない。ここには色がないから。

むきだしのものに、むきだしでふれる。やわらかいひかりなら、あたたかい(例えば数学的形体)。でも、海の広がりに対抗する術は無い。ちょっと痛い。ストーリーの無い映画館の光は、映画館そのものを浮かび上がらせる(「劇場」シリーズ)。映画はスクリーンだけじゃないと思い知らされる。逃げられない。

今いる世界は、付随するものが多すぎる。それを取り除く瞬間を、彼の写真は提供しているのかもしれない。
写真集、買いたかったけど、6000円は辛かったです…ポストカードを何点かお買い上げ。

とても不思議な時間でした。
スポンサーサイト
この記事のURL | あーとにふれる。 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<おなじばしょにいる。 | メイン | おともだちばとん。>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://ryono.blog56.fc2.com/tb.php/46-78924990

| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。