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無料カウンター しかしてきぼうせよ。 じこをぶんせきする、2。
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じこをぶんせきする、2。
2005/07/26(Tue)
就活をしていた時期、某会社の面接で「(前にやった)性格検査で、『自己評価が非常に低い』って出てるんだよね、なんでだろう?」と言われたことがある。どうやら、その結果と面接で話をして見えた雰囲気とが違ったらしい。

別の会社でも「今話をしていて、とても明るくて、社交的に見えるけど、性格検査では『人と付き合うのが苦手』『プレッシャーに弱い』という結果だったんですよねぇ…」と不思議そうに言われた。(「きっとテンションが低かったんですよー」と言ったら受けた)

性格検査で出た結果はあながち間違いではない、というか、私の本質だと思う。自分に自信がない。

振り返ってみると、私は親にほめられた記憶がほとんどない。といっても、褒められたことがない、のではないと思う。「長所を褒められた記憶」より「欠点を指摘された記憶」の方が、数は少なくとも、強く印象に残っているのである。

とはいえ、具体的に思い出せるのは、ひとつしかないのだが。それは「今までの失敗をだいぶ克服できたと自分では満足したのに、たったひとつ残った失敗のみを指摘され、結局ひとつも褒めてもらえなかった」という(よくわからないかも)、トラウマに近いものである。

おかげで、自分のいいところより「できない、できなかったところ」ばかりをとりあげ、「ああ、自分はだめなんだ」と思うことが多くなったのだろう。

で、いつのころからか、親に期待しなくなったのだと思う。代わりに、学校で「自分を認めてくれる場所」を作り続けた。片っ端から委員に立候補し、部活に精を出し、とにかく「必要とされる位置」に居ようとした。これは大学に入ってからも変わらなかった。クラスでは学級代表系の役職に、オケでは部長に立候補した。

私を知る人はたいてい「がんばりやさん」と言ってくれる。

しかし生来が努力嫌いなので、その位置と実力が釣り合わないことが多く、努力しないくせに、そのギャップにストレスがたまった。また「ああ、自分はだめなんだ」というストレス。

そんな時にはげましてくれた人はたくさん居た。「そんなことないよ」と。

はっきり言う。私はそう言ってもらいたくて、自分を「貶めて」いた。

だから、本当に自分を責められると、怒る。子供のようだ。なんて、意地汚い。



あのひとは、会って間もなく、私のことを「見栄っ張りのくせに卑屈」だと言った。

今なら、実感できる。

せめて、「卑屈」が「自分に厳しい」と変わればよいのだけど。
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