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手段か目的か。
2005/08/11(Thu)
かもめのジョナサン。

「リトル・ターン」の訳者(五木寛之さん)あとがきで、この本の話が出ていたので、気になってた本。

リトルターンは飛べなくなった鳥がその理由を考えていく話。こちらは、食べるための飛行ではなく、飛行そのものの魅力にとりつかれ、ひたすら「飛ぶ」ことを追求する話。

ジョナサンは食べることを忘れ、飛ぶ練習ばかりやっていた。そして、高く、速く飛べることに満足するだけではなく、「このすばらしさを仲間にも」と思い、かもめたちが餌をあさっている中を弾丸のように飛んでいく。しかし、食べるための飛行しか認めない仲間達から異端扱いされ、追放されてしまう。彼はひとりになっても、もっと速く、もっと高く、と努力し続ける。ある日、白く輝く鳥が彼を導いて…というところが第一章。

ここで「彼は飛ぶことを追求したすばらしい鳥でした、おわり」ではなかったので、意外だった。

しかしこれ以降の話は、読んでのお楽しみ、としておこう。考えさせられる話ではあるが、脱線してしまいそう。

ジョナサンは飛ぶことを「目的」としている。なぜなら、それがすばらしいことだから。重要だから。歓びだから。もっと飛べる、もっともっと。



最近あるひとに言われたことば。

「楽器がうまくなるのが目的か手段だったか、の違いだよね」

私にとって、楽器は手段でしかなかった。「人に認めてもらう」ための。うまくなるのが楽しいとは思わなかった。「音がよくなったね」と言われて初めて、楽しかった。

だから、練習に身がはいらなかったのかもしれない。どうあがいたって、「義務」だから。

多くの人は、楽器が目的だったろう。うまくなることが楽しくて、うまく演奏することが楽しくて。

あの集団で私がずっと持っていた違和感は、そこにあったのかもしれない。

うーん、ホルンが好きだって言ってた私はどこに行ったのだろうか。
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