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青く、白く、時止まる:『紫の雨-福井爽人の世界』
2006/08/07(Mon)
※この展覧会は7月31日に終了しています。(札幌)

夜明けが大嫌い。
現実に引き戻されるようで、夢が冷めたようで。
だから、夜空が朝に向かって白を帯びていく様は
見ていて辛くて、でも目には容赦なく光が差し込んで、苦しい。

そんな私でも、彼の作品『明ける時』は好きだと感じた。
遠くの街の、おそらく夜明け。
それを見つめる、ピノキオのような人形。横たわる時計。

夜明けの過程の、ほんの一瞬をとらえているけど、
この絵はこの瞬間だけで、進むことも止まることもない。
だから、安心して見ていられた。
夜明けの色は、美しかった。



小樽出身の風景画家、福井爽人の個展。
タイトルこそ「紫」だけど、
彼の作品は青と白を基調にしているように見える。
一番初めに目に飛び込んだ『夜想譜』は深く、
暗い青が一面に広がっていて、濃密とは思ったけれど、
不思議と重たさは感じなかった。

青といえば、『雨後』も好き。青い馬が、とても印象的。
ファンタジーとは呼べないけど、幻想的なたたずまい。
目にひきよせられて、いつまでも見ていられそうだった。

白といえば、『北明』。
夜深い時間帯だろうか、その夜の真ん中で、
木立が白く浮かび上がっている。
「浮かび上がる」という言葉がぴったりくる。
でも、立体感はない。何故だろう。

彼の作品たちは、営みや風景の一瞬を捉えていて、
でもそれは、ほんとうに一瞬だけ取り出して
もう動き出さないように封じ込めてしまったように見える。
「張り付いている」という言葉でもかまわない。
それでも、そこにある空気は感じ取れるから
「死んだ絵」とは感じない。

動き出さないから安心して見られる。
そして生きているから、心で感じ取れる。

彼の絵は、とても優しいのだろう。

ときおり白い壁に、散文詩があった。彼は詩人でもあるのだ。

「心あるなら
 この墜ちた鳥を穴に葬り墓標をたててはいけない
 
 (中略)
 
 鼓動のあるかぎり
 戦い続けたこの小さな海鳥は
 白い貝殻が散る砂浜に
 一羽で横たわるのがふさわしい      (後略)」
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いろのないせかいに、ようこそ。「杉本博司:時間の終わり」
2005/12/20(Tue)
東京で内定先の事前研修を受けました。最終日は午前中で終わってしまい、内定者達とお昼ご飯を食べた後、ひとりで興味のあった写真展へ。

杉本博司「時間の終わり」森美術館

「原始人と同じように海を見れたら」という思いつきに魅せられ、本人のことも写真のこともわからないまま六本木ヒルズへ。展望台の上にあるとは知りませんでした。

まずは「数学的形体」シリーズがお出迎え。
ディニ曲面?定曲率?擬球をねじる?サインコサインの数式がカードに並んでいるけど、さっぱり。
数学が美しいというのは、なんとなくわかる。綺麗な数式。でも、それはなんとなく冷たい美しさ、だった。温度のないもの。

薄暗い光の中、黒いバックに浮かぶ「形体」は、立体的な影があって、あたたかそう。こんな風に影をもって現れる数学は初めて見た。

次は人形などの模型を撮影した「ジオラマ」シリーズ。
博物館などで見る、原始人や、シロクマの模型を、その背景と一緒に撮ってしまう。色がない(モノクロで撮影)ことで、模型が余計、息づいて見える。

そして、今回の目玉、「海景」シリーズ。
世界中の海を、水平線を撮り続け、真っ暗な部屋に並べる。部屋はスクリーンの光だけで、耳鳴りのような高音が空気を突き抜ける。
原始人は海を(私達のように)海として見ていなかったのでは、一体どんな風に見ていたのか…と杉本さんは思ったらしい。壁にならぶ「海」は、あるものはぼやけ、あるものは暗く、あるものは遠くに光、と表情は様々でも、無限を思わせる広がりはどれも変わらない。最初に海と言われなかったら、これは何かわからなかったかもしれない。

見ていると、すいこまれる。音が、脳を錯乱させ、何も考えられなくなる。
まっくらななかに、わたしと、ひろがりだけ。
いつまでもいるのは怖くなって、次の部屋に向かった。

仏様がずらずらすらっと並ぶ、横長の写真に圧倒される。800体?もっと?数は忘れてしまった。ひとつひとつがきちんと形をもって迫ってくることの、怖さ。彼は800体を撮ったのではなく、ひとつひとつを撮った、と思う。
建築物を、無限大の2倍の焦点距離で撮った「建築」シリーズ。多くの建築物が、その焦点距離の前に形を失い、消えたという。それをくぐりぬけた者だけが、白い壁に並ぶ。ぼんやりしていても、存在感のある形。

全ての写真に、色が無かった。もちろん、白と黒はあるのだけど。
色が無い、ということは、それだけ余計な情報がなくなる。でも、だから想像力を働かせて、と感じられるような写真ではなかった。
色がない分、光と影がむきだしでせまってくる。私も衝撃を和らげるものなど持てない。ここには色がないから。

むきだしのものに、むきだしでふれる。やわらかいひかりなら、あたたかい(例えば数学的形体)。でも、海の広がりに対抗する術は無い。ちょっと痛い。ストーリーの無い映画館の光は、映画館そのものを浮かび上がらせる(「劇場」シリーズ)。映画はスクリーンだけじゃないと思い知らされる。逃げられない。

今いる世界は、付随するものが多すぎる。それを取り除く瞬間を、彼の写真は提供しているのかもしれない。
写真集、買いたかったけど、6000円は辛かったです…ポストカードを何点かお買い上げ。

とても不思議な時間でした。
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よいせいかつを。
2005/10/30(Sun)
今日は中村好文さんという建築家さんのデザインした家具を見に行きました。

椅子に実際に座れたり、テーブルの手触りを楽しんだりできる良い時間でした。

デザインはどれも木材を基本としたものばかりだけど、手になじむ。手からではなく、向こう(家具)から手に触りに来てくれる…というとちょっと大げさかもしれない。楕円形(断面が)の階段の手すりが、一番さわり心地がよかった。しっくり。

テーブルは6~8人座れるような大きな、シンプルなもの。でも、変な重さはなくて、だた、静かな存在感をもってそこにあり、同じく彼のデザインした椅子が、引き寄せられて周りに集まっているんじゃないかと思った。この椅子のすわり心地も、また良し。

台所もデザインしている。彼は散らかり、雑然としたものが、「活気」にあふれた、理想の台所だと考えていて、それに耐えうる(これが正しい日本語かは知らないが)水まわり、コンロを考えた。コンロの横には大きなスペース。買ってきた材料を「どん!どん!」と置けそう。流しには大きく(でもかっこいい)まな板をひっかけることができて、ざっと洗ってさっと切る、そんな調理風景を想像した。

一番印象的だったのは、彼の設計事務所で、スタッフみんなが昼食を作ったり、食べたりしている風景。

こういう設計事務所ってすごく殺伐としていて、クラッカーをかじりながら、一人一人が夜遅くまで皆机と向き合って…と思っていた(我ながら想像力が貧困)。

でも、中村さんの事務所では、昼食は必ずと言っていいくらい皆で作り、囲むらしい。ビデオが上映されていたけど、春野菜の丼も、トマトとウニのパスタも、とてもおいしそうだった。材料を買ってきて、切ったり炒めたり、できましたーと言って皆が集まり、いただきまーす、と言って食べる。

その他、中村さんの普段使っている仕事道具(手作りのものもある)や、遊び道具、食器(カフェオレボウル、欲しかった…)などを見ていて、彼が普段の生活をどれだけ楽しんでいるかが、わかった気がした。

生活を楽しむ感覚と、細かいところまで見る観察眼(スケッチブックを見るとわかる)。

今回は、ものづくりって楽しそう…というより、「もっと生活を良いものにしたいなぁ」と思う展示会でした。良いもの、とは定義が広いし、感覚は移り変わるので、難しいけど。

そういうことで、今日は久しぶりに入浴剤を買ってきました。体にいいことをしよう。
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こころをつつかれた、とおもう。
2005/08/24(Wed)
思いがけず、1日で2つの展覧会に行くことに。

一つ目は「流行するポップ・アート」→http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/exhi/special/special_new.html

私自身は「そんなにいいもんなのかなぁ」と思っていたが、周りに興味ある人が多く、近くだし、せっかくなのでいくか…と思った次第。

美術館自体がひさしぶりで、ちょっと緊張したけど、思ったより楽しかった。ラッセンとかKAGAYAばかりでは得られないものがあったように思う。

とくにひかれたのはパトリック・コールフィールドの「灯りが点いた窓」。

シンプルだけど、いや、たぶん、シンプルだからこそ、立ち止まってしまった。ポストカードか、画集欲しいなぁと思ったけど、見つからず(洋書で出てるみたいだけどよくわからない)。もうちょっと探してみる予定。

二つ目は、イサム・ノグチ展→http://www.stv.ne.jp/event/isamu/index.html

これは前から行きたかったもの。昼に会った友人に話をすると、「じゃ、今から行くかぁ」となった。

これも良かった。彫刻は抽象的で「?」の連続だったけど、色々想像することができて、頭の運動になった。触りたくなる彫刻というのは自分にとって良い彫刻だと思うけど…触っちゃいけないんだよなぁ。

印象に残ったのは「球状」と「身ごもった鳥」。「え?それ、鳥?」とは思ったけど。



刺激を受けた、というと言いすぎだと思うけど、心の隅をつつかれた気分にはなった。「このまんまでいい?」て聞かれた気もする。

昔から絵を描いたり、何かを作るのは好きな方だったと思うけど、しょっちゅうやるほどの趣味でもなく、特に勉強するでもなく、ここまで来てしまった。

でもここらで、もう一度やり直してみたいなぁと思っている。それは単なる逃げじゃないか、とも思う。事実、思うだけで実行に移せてないし。描きたい絵はあるけど、手が動かない。

でも、今日の展覧会で、作ってみたいな、と思った。動いてごらん、て言われた気がした。
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