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無料カウンター しかしてきぼうせよ。 あのひと。
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清算
2007/04/08(Sun)
「彼のところには、行ってほしくない」とあのひとが言った時点で、
私は答えを出すべきだったのだろう。

2日前に別の人と見た夜景に、もう一度、連れてこられた。
それはあのひとなりの抗議であり、想いだったのだろうか。
「かわいいとこあるんだなぁ」と思ったのは事実だけれど、
その時発せられた言葉が響かなかったのも、また事実だ。

あのとき、「(行くのは)やめておくよ」と言った自分に
薄ら寒い何かを感じた。

それが嘘だと、無意識にわかっていたし、
あのひとを守るものにもならないと、感づいていた。

優先できないという事実の前で、嘘は露呈された。



確かでありながら、規定するものがない関係に
というよりは
確かかどうかでさえわからないことに、私はうんざりしていたんだと思う。

簡単に言うなら、信用できなかったのだろう。


連絡がとれたことは、単純に嬉しかったけど
もう多分会うことはないと思っていた。
ひどいことをして、私への信用は消えたと思っていて、
遠くから見える関係であれば、本当に、それでよかった。

「まだ話をする価値はある」
「利用されてみないか」

おそらく(あのひとにとって)意味のない言葉尻に、私は随分縛られていた。
優しくされても、気持ちがよくても
「利用されているだけだ」「少し時間がたてば、離れる」
と催眠術のように呟いていた。

もう何度も嫌われて蔑まれているから
(そんな風に思ったことはない、と彼は言うだろうし、それは信じるけど)
いつ壊れたっていいと思っていて、ずいぶんありのままに接した。



「付き合っていると思ってた」と言われたときに、心から驚いた。
そんな風に思われていたことと、
そんな風に言われても、嬉しさがこみ上げなかった自分に。

「何のために夜景を見に行ったんだろう」
「何のためにあんなこと言ったんだろう」

朝7時の突然の訪問者は
30分後に「もう会うことはないね」と言って、そのドアを閉めた。



どこを探しても、同じような人はいない。
社会でまっとうに生きる能力はあるのに、どこかズれた道を歩んで、
社会から距離を置きつつも、誰よりも「人」が好きな人。

「お前は俺から卒業した方がいい」と言われたことがある。
「私が別の人に行くときは、私の何かが死ぬ時だ」と言ったことがある。

あのひとと何かを共有できなかったことへの悲しさは
ずっと前に感じていたものより、ずいぶんと薄い。
私も所詮、「こっち側」の人間だったのだろう、と思っている。
それは少しの侮蔑を含む。


これから時間をかけて、私は自分の中の何かを殺していくのだと思う。
あのひとの言葉を借りて。
もう二度と会わないけれど、言葉で繋がる場所はあるのだ。

清算は始まったばかりだ。
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行為。
2007/03/01(Thu)
私達の関係に恋だの愛だのの名前がなくて済んでいた頃
「愛情を持って抱いてください」と言って私は泣いたことがある。
あのひとならそうしてくれると本能で「わかって」いたからだ。

ある時期、私には行為しか必要ないと思っていたけど、
それは全くの勘違いだと、言った瞬間理解した。
行為を求むことと、親愛の情が、私にとって等価だった。
それは恋愛関係と呼べるものでなくても。
むしろ、そうでないからこそ、尊いときもあるだろう。

やさしかった。




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リアルタイム
2007/02/22(Thu)
現在有るはずのものを「無し」として、
過去に住まい、記憶を惜しみ、嘆き悲しむ行為は、自己嫌悪と同じ。
ナイフは手の届く場所にあるけど、
自分自身を温かい毛皮で何重にもくるんでいるような行為。

過去に住んだままなら、色んなものが他人の手で上書きされずに済む。

現在に呼び戻して、喪失は喪失として受け止めてしまうと
過去には逃げられない。
自分の腕に抱えていたものを引きずり出されて
「ほんとは見てなかったでしょう?」と、目の前に突きつけられる。



あるきっかけで、私はあのひとと現在で繋がろうとした。
できるだけ正直に自分の気持ちを書いた、と思う。
正直に、というのは、文章を「作ろう」とせず、
ただ、自分の思うことを、シンプルに書く。
実は私にとってこういうことが一番苦手だ。取り繕ってしまうから。

反応なんて期待してなかった。
だから、点で繋がれたことに、心から驚いた。

言葉は、相変わらず厳しかった。

失ったものは戻らない。
それは私自身のせいであると言われなかったけれど、十分に伝わった。



現在に呼び戻したことで、私は自分を慰める方法をひとつ失った。
でも後悔はしていない、と思う。
あのまま毛皮で守り続けたら、その中で何か腐ってしまっていただろうから。

ここに記憶の断片を散乱させるのは、もうやめようと思う。
そんなことしてももう慰められないとわかったから。
私が向き合うのは、過去の記憶にいるあのひとではなく
「もはや向き合うことすらできない」
という事実を突きつける、現在のあのひとだ。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「仲直りしたい」という、私自身も気付かなかった気持ちを
シンプルな質問で引き出してくれた貴女と
「自分を大事にしなさい」と言ってくれて、
私に勇気をくれた貴方に心から感謝します。
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造られる記憶
2007/01/20(Sat)
今月のananの表紙は、長澤まさみだった。

これ買って帰ったら、
憎たらしいくらい嬉しそうな顔するんだろうな、とか

一緒に買い物してる時にこれを見て、
「買ったげようか?」と聞いて
すごく嬉しそうな顔して「え?いいよいいよ」と真逆の返事をする
そんなシチュエーションを思い浮かべたり

一瞬でそんなことができる自分の脳に辟易する。


いつも行くコンビニで、一冊だけ残るその雑誌から
目を背けたいのに、いつも見てしまうのだ。読まないけど。

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自分の痛みに鈍感であろうとしていたら
他人の痛みにも鈍感になっているように思う。

どこまで自分を守れば気が済むのだろう。
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たたずまう(誤用)
2006/10/19(Thu)
例えば、刺身以外の魚を買ってみたり
埃のかぶったクラシックCDを聴いてみたり

変わろう、変えよう、とする意識は、そこに在る。

そして、ほんの一瞬で、崩れる。



湯船につかって、ふと視界に入った
バスルームのドアに付随する記憶が、
こんなに私を動揺させるとは、思わなかった。

新品のバスタオルは、まるで役に立たなかった。



私は、何が悲しいのだろう。
失ったことか
傷つけたことか
ほんとうに、夢が見れなくなったことか

きっと全てだ。




何度も「もうだめだ」と思っては、またその手に触れることができて
嬉しくて
そんな記憶が、もしかしたら、もう一度、と願わせる




駄目だよ。

修正なんてできないほどの言葉を、私は吐いた。
違う。
私は修正しようとしなかった。



簡単に人を傷つけ、放置できる人間だと
たった一人も、愛し抜けない人間だと
彼は理解してしまった。

魔法にかかっていたのは、私じゃなくて、あのひとだ。

魔法は解けた。



あのひとは、私に感謝している。
困ったら、頼りにしてください、と言われた。

頼っても、あのひとの、私への評価は変わらない。
それを確かめたくない。

確かめてもいいくらい、傷つく覚悟ができたら、
もしくはそれもわからないくらい、前が見えなくなったら、
あのひとに電話しよう。

今は、頼れない。
変わろうとしたいのに、変わりたくないと知っていても。
毎日が楽しいのに、常に空虚を感じていても。
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